日本のフィリピンコミュニティーの歴史とフィリピンパブの移り変わり
現在とは少し違ったその昔の歌舞伎町はアジアでも指折りの歓楽街だった頃
タイや台湾やフィリピンを中心としたアジア諸国から多くの移民があった。
それらのコミュニティーは、時代と共にどんどんと形を変えていった。
その中でも、フィリピン人女性に対して行われた興行ビザの発給が厳しくなってからというものの
フィリピン人女性の入国・仕事などに関しての環境が大きく変化していった。
また、この規制の背景には、フィリピン人女性と日本人男性の偽装結婚など
他の外国人女性(ロシア東欧系)の偽装結婚を取り巻く環境と非常によく似ている)との
国際結婚問題にも似ているがこういった問題も大きかったのだろう。
被害者もかなりの件数が出ていて、巷ではフィリピン人女性との偽装結婚・結婚詐欺の防御マニュアルのような
本も発売されていたくらい人気のテーマになっていた時代もありました。
その後、新宿の区役所通り沿いのメトロプラザ1・2エリア周辺などは
現在になった今でもアジア系の勢力は強いエリアだと思います。
歌舞伎町で働いているフィリピン人のコミュニティーの憩いの場になっていたり
他にも、アジア文化の集合体の機能している店
”DISCO SOUNDS KARAOKE & RESTAURANT IHAWAN(イハワン)”など。
近年は、韓流まだまだブームに影を潜めた感のあるフィリピンカルチャーですが
新宿においてのアジアンパワー特にフィリピーナのパワーは、まだまだ健在な感じもしますね。
フィリピンパブや、フィリピン人コミュニティは、東京なら下町エリアに集中し始めたのは
その後の歴史からの移り変わりかもしれません。
また、都心から地方都市にも、どんどんコミュニティが広がっていますよね。
今後、彼女達が結婚して日本人との間に生まれるハーフの子達が、これからもドンドン増えて
様々エリアにフィリピンルーツを持った子どもたちとの共存共栄が進んで行くんでしょうね。